幸も不幸もないんですよ
『幸も不幸もないんですよ』 小林正観 より
『「生前(せいぜん)」という言葉があります。
「生まれる前」と書きます。
「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。
意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。
常識的に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。
似た言葉に、「大往生(だいおうじょう)」という言葉があります。
「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。
「往生」は、「生(の世界に)往(ゆ)く」と書きます。
これも、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。
どうも、昔の人たちは、「あの世」があると思っていたようです。
さらに、「あの世」のほうが「ほんとうの生」の世界であって、こちらの世界は「仮の世」と思っていた節があります』
生まれ変わりがあるかどうかは、誰も分からないし、証明できない。
あの世がないと思っている人は、今生、悪の限りを尽くしても、あの世がないのだから、死後に罰(ばち)などは当たらないと思っている。
しかし、もし仮に死んでから、あの世があることが分かったら、「しまった。最悪だ!」とうろたえるだろう。
だが、生まれ変わりがあり、あの世もあると信じて、前世より今世と徳を積み上げ、人格を磨いてきた人にとっては、あの世があろうが、なかろうが関係ない。
仮にあの世がなかったとしても、何も「しまった!」と思うことはないからだ。
つまり、損得勘定から言っても、「あの世はある」「生まれ変わりはある」と信じたほうが得だということ。
人は、生まれたからには、必ず死ぬ、という定めを持っている。
損得勘定から言っても、「生まれ変わることが義務」だと思ったほうがいい。
また、この世に起こることには、いいとか悪いとか、幸とか不幸もない。
すべて、見方しだい、考え方しだいだ。
その根本にあるのが感謝。
感謝のメガネをかけてみれば、すべてが、当たり前ではない、スペシャルな、感謝すべきことに見えてくる。
「それがあったおかげで」という「おかげさま」の心だ。
感謝は、地球上の全生物のなかで、たったひとり、人間だけに与えられた権利。
この権利をしっかり行使するかどうかで、その人の運が決まる。
そして、死に往くとき、「ああ、いい人生だったな。楽しくて幸せな人生だったな」と感謝で死ねるかどうか。
感謝の気持ちで日々くらしたい・・