しあわせのたね

あなたの心が、明るく、軽く、なればいいな。そんな思いで綴っています

小善は大悪に似たり・・大善は非情に似たり・・

稲盛和夫さん著書の言葉です

一見、優しいように見えること・・
実は人を甘やかしてしまっているだけで、学びの機会を失わせ・・
将来にとってとても良くない結果を生んでしまっているかもしれません・・
それが小善

本当にその人のことを思ったら、一見、冷たいように見える言い方も・・
厳しすぎるようなやり方も・・
その人が成長する上で必要な愛のムチ・・
それが大善

たとえ話をインターネットで拾ってきましたので紹介します

---------------
小さな湖のある山の麓に、おじいさんが住んでいました。
毎年冬になると、冬を越す為に魚のいるこの湖に雁の群れがやってきます。

毎年やってくる雁が可愛く思えたおじいさんは、何度目かの冬から餌をあげるようになります。

雁は嬉しそうにおじいさんの餌を食べて、冬を過ごすようになりました。
村の方達はその光景を見て、おじいさんは優しいね、良い人だねと言い合っていました。

そしていくつかの冬が過ぎ、その年も雁がやってきます。
ですがその年はおじいさんがいつまで待っても現れません。実はおじいさんは寿命で亡くなっていたのです。

でもその事を知らない雁の群れは、足元には魚が沢山泳いでいるにも関わらず、自ら狩りをする事を忘れてしまっていたので、
ずっとおじいさんを待ち続け、やがて衰弱して全滅してしまうのです。

 

さて、このおじいさんのやった事は、雁にとって良かったのでしょうか?という話です。

---------------

子供が欲しがるモノを全て買い与えていたら、
その子は将来どうなるでしょう。

反対に、その時点では一見厳しく辛く感じる「非情」は、
後に相手や集団に「大善」という幸せをもたらすことがあります。
その時は「何で買ってくれないの」と子供に文句を言われても、
将来、我慢する自制心が身についたら、その子にとっては大きな幸いです。
だから「大善」なのです。

---------------

運の話でこういうことも聞きました

一見、良く見えるけど悪運

とある地方の高校生の話
彼は自転車通勤

クルマもまばらな地域なので彼は信号無視を繰り返します
最初は注意しながら・・

そして、運良く(?)信号で止まらずに済むことが日常となり・・
彼は何も考えず信号無視を繰り返すようになり・・

ある日車に轢かれて亡くなってしまったそうです・・

 

小善は・・
その場では相手に喜ばれ・・
自己満足感も高まるので・・
つい、やってしまいがち

ものごとは・・

大きな視野
長期的視点から
考えるようにしたい・・