しあわせのたね

あなたの心が、明るく、軽く、なればいいな。そんな思いで綴っています

8月9日午前11時2分

今日、8月9日は午前11時2分、長崎に原爆が落とされた日です

どうしても人類最初ということからヒロシマのほうに目が行きがちですが・・

人類史上で核爆弾が使用されたのはヒロシマナガサキしかありません

そして原爆に目が行きがちですが

全国各地で空襲により尊い命が奪われたのです・・


今日は長崎に想いを寄せつつ

各地の空襲でなくなった方々、南方などで玉砕された人々・させられてしまった人々、
各地の戦闘で亡くなった人達、この戦争で亡くなった全ての人たちの冥福を祈ります


そして平和な現代に生かされている事に深く感謝します


「広島原爆」と「長崎原爆」の違い

人類史上、実戦で核兵器が使用されたのは、
1945年8月6日に広島へ投下された原子爆弾(以下、「原爆」)と、
1945年8月9日に長崎へ投下された原爆だけである。
島原爆と長崎原爆を比較すると、使用された燃料や爆発時の破壊力、
被害状況などが異なり、
破壊力の大きい原爆を使われたのが長崎原爆、被害が大きかったのが広島原爆であった。

島型原爆
コードネーム:リトルボーイ
爆弾の燃料:ウラン325
爆発威力(TNT換算):約15キロトン
爆撃機:B-29(エノラ・ゲイ
当時の人口:約35万人
死者数:約14万人

長崎型原爆
コードネーム:ファットマン
爆弾の燃料:プルトニウム
爆発威力(TNT換算):約22キロトン
爆撃機:B-29(ボックスカー)
当時の人口:約24万人
死者数:約7.4万人

当時の人口は推定、死者数は同年末までの推定。
広島の約1.5倍の威力を持つ原爆が使われた長崎の方が被害が少なかったのは、
長崎市は山で囲まれた地形で、山によって熱線や爆風が遮断されたためといわれる。


また、このような話もあります

長崎にしても広島にしても、役所の記録が失われた上に、
朝鮮などから徴用されて働きに来ていた人の数や
一時的に疎開してきていた人などの数は分からないものが多く、
本当の被害者数というのは永遠に不明のままでしょう・・

 

なすときゅうり

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お盆になすときゅうりで作る馬と牛は精霊馬・精霊牛と呼ばれ、

お盆に、ご先祖様が行き来する乗り物として作られました

なすときゅうりで作った精霊馬の意味は

なすやきゅうりは夏野菜ということもあり、

きゅうりは足の速い馬として見立てられ、

あの世から早く家に戻って来れるように。

ナスは歩くのが遅い牛として見立てられ、

少しでもこの世から帰るのを遅らせようとしたとされています。

お盆にご先祖様を供養するお供物などを持ち帰ってもらう為に

牛にしたとも言われています。

 

 

米百俵の精神

<米百俵の由来>

幕末維新の風雲は、戊辰戦争で長岡城下にも及んだ。

長岡藩は、軍事総督・河井継之助の指揮のもと、奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と徹底的な戦闘を行った。
このことは、司馬遼太郎歴史小説「峠」で広く紹介されている。

その結果、250年あまりをかけて築き上げた城下町長岡は焼け野原となり、石高は7万4千石から2万4千石に減らされた。
 
幕末に江戸遊学をし、佐久間象山の門下生であった虎三郎は、独自の世界観を持ち、「興学私議」という教育論を著していた。

戊辰戦争の開戦に際しては、長岡藩が参戦することに反対の立場をとっていた。
敗戦後、文武総督に推挙された虎三郎は、見渡すかぎりの焼け野原のなかで、
「時勢に遅れないよう、時代の要請にこたえられる学問や芸術を教え、すぐれた人材を育成しよう」
という理想を掲げ、その実現に向けて動き出した。

明治2年(1869)5月1日、戦火を免れた四郎丸村(現長岡市四郎丸)の昌福寺の本堂を借りて国漢学校を開校し、
子どもたちに「素読」(論語などの読み方)を教えた。

翌年5月、長岡藩の窮状を知った三根山藩から米百俵が見舞いとして贈られてきた。
藩士たちは、これで一息つけると喜んだ。
食べるものにも事欠く藩士たちにとっては、のどから手が出るような米であった。

しかし、藩の大参事小林虎三郎は、この百俵の米は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして米百俵を売却し、
その代金を国漢学校の資金に注ぎ込んだ。

こうして、明治3年6月15日、国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目、大和デパート長岡店の位置)に開校した。
国漢学校には洋学局、医学局も設置され、さらに藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもも入学を許可された。

国漢学校では、小林虎三郎の教育方針が貫かれ、生徒一人一人の才能をのばし、情操を高める教育がなされた。

ここに長岡の近代教育の基礎が築かれ、
後年、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出された。

東京帝国大学総長の小野塚喜平次、解剖学の医学博士の小金井良精、司法大臣の小原直、海軍の山本五十六元帥……。
この国漢学校は現市立阪之上小学校に引き継がれ、
米百俵」の精神は長岡市のまちづくりの指針や人材教育の理念となって今日に至っている。
 

 

この国漢学校創立時の故事をもとに、文豪・故山本有三氏が戯曲として書き下ろしたのが<米百俵>である。
この戯曲は、虎三郎に関する詳細な研究と合わせて一冊の本にまとめられ、昭和18年(1943)に新潮社から出版された。

 山本有三の戯曲<米百俵>の中で、虎三郎は「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かってこう語りかける。

 「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。
  国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。
  ……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。
  この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。
  いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。
  その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」

 教育と反戦の思想で裏打ちされた戯曲<米百俵>は大ベストセラーとなったが、
時代は軍部の支配下にあり、反戦戯曲だと強い弾圧を受けて絶版となり、自主回収の憂き目を見た。

 それから約30年後の昭和50年(1975)、長岡市が<米百俵 小林虎三郎の思想>を復刻出版すると、大きな反響を呼んだ。
また、昭和54年(1979)と平成13年の2度にわたり歌舞伎座で上演され、多くの人々に感銘を与えた。


長岡市役所HPより~

 

8月6日

1945年8月6日

広島


人類史上初の原子爆弾(原爆)は、地上600mの上空で炸裂し、

中心温度100万度の火の玉をつくった。

 

爆心地周辺の地表の温度は3000~4000度に達したという。

 

爆心地から1.2kmの範囲内では、その日のうちに約5割が死亡した。

1945年12月末までに約14万人が死亡したと推計されている。

 


1945年8月6日 広島で何が起こったのか
http://www.geocities.jp/mk32924/page011.html


風化させてはならない

語り継ぎ

過ちを繰り返してはならない・・

思いやりの心を伝える

斎藤一人 ツイてる話 より ~

この前、私が行ったお好み焼き屋には
「ガス栓にはさわらないでください」という貼り紙が有りました

でも、どうせ書くなら
「ヤケドすると大変です、ご用の時にはいつでも、何度でもお声をかけてください」
のほうが、読んだ人の気分は良くないでしょうか

温泉場でも、お風呂場に
「ご入浴は、午前8時から午後11時までです」
と、貼り紙されているところがあります

これも、
「お客様には、午前8時から午後11時までごゆっくりおくつろぎいただけます」
としたほうが、読んだほうは得した気分になれるのです

問題は、書いて有ることの内容ではありません

どう表現すると、人はいい気分になれるのか

どんな貼り紙をすると、思いやりの心を伝えることができるのか

ということです

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思っていることは

思っているだけでは

伝わらない

 

たとえば

喫茶店に入って

コーラが飲みたくてたまらないのに

「珈琲ください」と言ったら・・

珈琲がでてきますよね・・

 

そして、表現方法によって

伝わり方が違ってくる

 

何のための仕事?

誰も争うために商売しているわけではありません(松下幸之助


争う、それは

 1 相手にまさろうとして、また、何かを得ようとして張り合う。競争する。「優勝を―・う」「先を―・う」「一、二を―・う名騎手」

 2 敵対する。戦う。けんかする。いさかいをする。「労使が―・う」「相続問題で兄弟が―・う」

 3 少しの時間をも得ようとして忙しくする。急を要する意にいう。「手術は一刻を―・う」「寸秒を―・う問題」

 4 自分の言い分を、正しいとして押し通す。「裁判で―・う」「黒白を―・う」


良く似た言葉で「競う」というものがあります


私なりの解釈では・・

「争う」には第一義として勝ち負けへの拘りが有るように感じ、

「競う」には、互いを高めあうという意味があるように感じます


相手への敬意や思いやりが有るのが「競う」ではないかと・・

 

では・・

商売、仕事は・・

何のためにしているのでしょうか・・

 

たまには考えてみるのも良いと思います

あげる よりも いただく

言葉の最後が「あげる」の人は「あげてばかり」なので幸せを失うばかり


言葉の最後が「いただく」の人は「いただいてばかり」なので幸せは増すばかり

 

働いてあげる

働かせていただく

 

納めてあげている(税金など)

納めさせていただく

 

等々・・

 

「あげる」の裏には・・

期待が有ることが多い・・


○○してあげたのに!

××してくれない!

と、なりやすいそうです・・

 

本当の喜びは・・

他人の喜び

 

ありがとう・・

と言って頂ける人生を歩みたい

こころとからだのつながり

面白い記事を読みましたのでシェアさせていただきます

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最近、あなたが怒りの感情を我慢したことを思い出して下さい・・


必ずどこかの筋肉に力が入り緊張していたと思います


我慢が続けば筋肉の緊張は更に進み、

一つの筋肉だけではなく複数の筋肉へと緊張は拡大していきます


感情の抑圧が強すぎると、

緊張を通りこして筋肉がけいれんしたり震えたり不規則に動いてしまう場合もあります


このため、うつや自律神経失調症の方には必ず筋肉に緊張があります


特に頭・アゴ・首・肩・背中・腰・お腹は緊張しやすい場所です


そのため、頭痛、顎関節症、肩こり、背中の痛み、腹痛などが

なかなか取れない方は、感情の抑圧がある可能性が高いのです・・

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精神的ストレスを減らすポイント


適度な運動とバランスの良い食事、緊張した筋肉を緩めることで

改善することが多いそうです・・

今日から・・8月

暦にありがとう!

暦をつくってくださった先人にありがとう!

なんのことかって?

ひと月の区切りに、その1か月を振り返り

新しい月の始まりに新たな気持ちでスタートする

それも・・

暦があってこそ

新しい月を迎えられたことに

機会を設けてくださったことに

感謝して新しい月を1日1日精一杯歩んでゆきたい・・

 

くち下手のほうがベター?

面白い記事を読みました

『うまく話そう』と思いすぎるのが問題であって、
むしろうまく話せないほうが円満な人間関係を築けます」


「あなたの周りにいる話し上手な人のことは好きですか?」

「話し上手になりたい」という相談者さんとのコンサルは、
この言葉から始まります。

すると、ほとんどの人は首をかしげてしまい、
素直に「はい」とは言えません。

つまり、
「話し上手な人が好きではないのに、そういう人になろうとしている」矛盾・・

 

私なりの解釈では・・

テクニックやハウツーを学び

上手に喋る人ほど

言葉が響いてこないような気がします・・

 

それよりも

上手、下手よりも


「気持ちがこもっているか否か」

そこが大事なのではないかと考えています

 

ビジネス上でアドバイスをさせていただく時などに
お伝えさせていただいているのは・・


想いを伝えること・・

精一杯、心を込めて話をしたら


「あとは相手任せ」


どう受け取るかは相手の自由なのだから・・

そこにはあまり期待しないこと・・


できるだけのことをする

ただそれだけ・・

暗示の力

わたしたちは自分で自分のことを分かっていると思っていますが・・

それは大きな誤り


わたしたちの意識のうち、90%?97%までが、潜在意識で

わたしたちがわたしたち自身だと思っているのは、実は3?10%にすぎないそうです

だから、いくら「頭で考えて」も、それだけでは上手くいかない・・

 

たった3%の自分だけが進みたいと思っても・・

97%の見えない自分が「進みたくない。ここにいたい」と思っていては、

前になんか進めない・・

 

だからこそ、

わたしたちは

潜在意識に対して働きかけつづける必要がある・・

 

それは「肯定的な言葉がけ」の暗示

 

「自分はできる」「自分はトップセールスマンだ」「自分は人生の成功者だ」

このような言葉をハッキリと言葉に出して言う、そして書く


言語化すると言葉は耳や目から脳に入り、定着する

繰り返し断言していると、潜在意識に言葉がしみ込み、そのように行動し始める


「どうせわたしなんて」とばかり呟いている人間は、

「どうせわたしなんて」という言葉で全身が支配されるようになる・・

なりたい自分を暗示することで、潜在意識に働き掛ける

そうすると

現実が変わり始める

 

わたしたち人間は

悪いところや

欠点を探すのは、とても上手


しかし・・

それを潜在意識に入れてしまっては

前に進めない


ポジティブシンキング

それが大事・・

 

凄い・・時代に・・

先日は・・

香川県高松市で起きて

徳島市で昼ご飯を食べ

晩ご飯は富山市で・・


これも高速道路網が整備され

皆が秩序を保って移動しているからこそ


もっと言えば

新幹線や飛行機を使えば

とんでもない距離を一気に移動することだって可能


それもこれも

日本に

今の時代に

生かされているからこそ

 

世界には

移動どころか

文字の読み書きさえ

ままならない地域も有るというのに・・

 

移動にしても通信手段にしても

凄い時代に、凄い場所に生かされている私たち


この恵まれた状況で

何ができるのか

何を成さなければいけないのか


考えていきたい・・・

 

37℃って発熱?

熱を測って37℃あると、「熱が出た!」と思いがち

ところが、37℃は平熱の範囲内なのです

水銀体温計の37℃を示す数字が赤かったことから生まれた誤った常識

※ここが標準という意味で赤文字になったそうです


1957年に報告された東京大学田坂定孝先生の研究によると・・
 
東京都内の10~50歳代の健康とみなされる男女3,000人余りを対象に、

午前、午後、また四季を通じてデータを集めました

測定時は椅子に腰かけ、水銀体温計による30分間の腋窩検温を行いました

体温が36.89±0.34℃の範囲にあるのは全体の73%にあたります

では、なぜ体温は37℃なのか?

体温が高いほど代謝は活発になり、
効率的に行われるはずです

しかし体温は高いほどいいかというと、そうではありません

細胞の温度が42℃を超えると、体内の酵素系の障害が起こり始めるので、

これを超える高い温度は好ましくないのです

つまり最適な体温は、できるだけ高いほうがいいのですが、

一方では生命がおびやかされる42℃のレベルからは充分に離れていることが求められます

約37℃という体温は、少々の発熱では42℃に届かないという条件で、充分に高い、

つまり、ちょうどいい温度といえるのです

身体の内側の声を・・聞く

毎朝の習慣・・

瞑想

それは、呼吸を通じて体内と対話すること

目を瞑り・・
もしくは目は空いていても何処にも焦点を合わせず・・

聞こえてくる音に心を預け・・

体内に意識を向ける
そう、無意識で動いてくれている内臓や血管やリンパなど
イメージしながら感謝しつつ
ゆっくりと腹式呼吸で・・

リラックスし頭が冴えたた状態で1日を迎えられる!
そんな気がします・・

 

先日のTV番組より・・ 覚悟

なんとなく点けていたTVで自衛官の方々が言っていた言葉

「私たちは被っている帽子の中に遺書を入れています」

「顔や姿形が変わって誰か判らなくなる可能性が有るので衣服に名前を書いてあります」

また、航空自衛隊の方はこんなことも
「ここ1年の緊急発進は約1000回を数えています」


ここで自衛隊についてとか国防についての話をしたいのではありません


それだけの覚悟を持って任務にあたっている方々が居るということ・・

 

有り難うございます